ノートとななしのうい

ななしのういのブログです

書きたいことを書きたいように書く

追記有 『発達障害』というキーワードがもうしんどいわ

はい、愚痴です。いや、説明的ななにか?わかんない。

 

 

Twitterでも本でもブログでも何度も書いたのだけど、私は発達障害の特性緩和を目指しているんです。発達障害は完治しない、だから障害と言われているのは知っています。それでも私は、少しでも良くなるようなんとかしたいと思っているんです。

何故なら、夫とこの先の人生を一緒に過ごしたいから。

発達障害の特性丸出しのままでは、夫への負担やストレスがとても大きいので、一緒にいるためには何が何でも私は特性を緩和させないといけない。

 

自分が発達障害かもしれないという時にTwitter発達障害アカウントを作りました。

その理由としては、生きづらさの理由の一つ発達障害に対して他の人はどう向き合い、緩和させるために何をしているのか、リアルタイムでの情報を求めていたからです。

だけど、具体的になにかをしている人を見つけられませんでした。

同じ発達障害の人と辛さを分かち合い、交流することが目的の方が多い印象です。

 

だから私は情報交換ではなく、自分から発信していくスタイルに変えました。

発達障害の具体的な治し方なんて本や情報はどこにもありませんでしたから、自分でまず何から練習をしたらいいか、練習方法などたくさん考え、実践するようにしました。

それが2017年夏のことです。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

ここで一旦過去のお話をします。

私は、勉強も運動も何をやらせてもできない子でした。動きも遅く、とろい、のろま、グズなどと親や身内から言われてきました。

私の両親、祖母はみんながそれぞれ自営業を営んできました。自分でお金を稼ごうと行動しなければいけないような環境にいた人たちだったので、小学校に上がる前から私に求めていたレベルはとても高いものでした。

お客さんや関連業者の人たちにあいさつ、雑談、愛想よくするなど、一人でコンビニに行き買い物をする、電話のとりかた、など様々なことを教えられてきました。

小学生になってからは、自分のおこづかいを稼ぐためにハンドメイド作家の祖母のもとでアルバイトとして裁縫をしたり、フリーマーケットに出されたり(接客する)、年末年始には離婚した父に会いに行くと同時にお店(居酒屋)で注文をとって運ぶなど、と同時に塾や習い事に通いながら、昼も夜も働いていた母を助けるために家事を手伝ったり、弟の面倒をみたりと、何をやらせてもできないのにやらなきゃいけない、できるようにならなきゃいけないことがたくさんありました。

 

できなかったり失敗すれば母から殴られます。だんだんエスカレートしていき、殴る蹴る、できないなら出ていけと言われ(母が稼いだお金で買った)服を全部脱がされ夜中に外に追い出されます。祖母からは、なんでこんなこともできないのか?のろま、これでお金(おこづかい)をもらおうだなんて甘ったれるなといろいろ言われてきました。

できないままでいられるような環境ではありませんでした。

 

私もだんだん学んでいき、小学6年生あたりで『どうすればできるようになるのか?』を意識するようになりました。ただガムシャラに勉強や手伝いをしていてもダメだと気づきました。

今の自分の状態を把握(何ができて、何ができない)、できない原因を考え、仮設を立て実行するといった分析して行動する力がこのあたりから少しづつ身についていきました。

 

私の両親や祖母が自営業者だと伝えましたが、小さい頃から『仕事ができないのはクズだ』『お金をもらうならそれ相応の働きをしないといけない』『学歴社会だから大学までいけ』『勉強ができないならできるまでやれ』と言われ続けてそういうものだと思ってきました。

できないことは許されず、できるまでやらないといけない。

これは私にとって当たり前で世界の常識だと思っていたのです。

できなければ殴る蹴るなどされるので、私に拒否権などなく、泣きながらやり続けるしかなかったんです。

 

なんやかんやあり、高校を中退することになり、お金を稼ぐために社会に出なければいけませんでした。

でも、私は何をやらせてもできなくて、遅い。できるようになるまで時間がかかる人間です。最初のアルバイト先では、パートのおばさんに怒られ、叩かれるなどされて心が折れてすぐ辞めました。メモさえ取らせてくれれば覚えられるのに取らせてもくれず、うるさいキッチンの中でお客さんからの電話をとっても何を言ってるのかわからず、それはもう散々な有様でした。

今思えば発達障害の特性がいろいろ絡んでいたのだと思います。

だけどできないことはやはり社会でも許されず、結局たいして稼ぐことができないまま終わり、新しい求人先を探すも10回連続で面接に落ち、いよいよこれはあとがないというところまで来ました。

もう選り好みしている場合ではないと気づき、ついに接客販売の派遣に挑戦することになりました。母へ支払うお金を稼がないといけなかったので、やめるわけには行かず、ここで私は『どうすればできるようになるのか』を考えるようになりました。

 

このとき私は16歳で、仕事ができるようにしないといけないと同時に自分の人生を楽しく生きるために、自分の好きな自分になれるよう変わろうと決意したときでもありました。やってきたことは、ツイートやメンクリ議事録、ノートにまとめています。

それを公開したときにたくさんの人から『努力』と言ってもらえました。

 

そう言われたときとても驚きました。この程度で努力と言ってもいいのか?まだ完璧にできていないからそんなことないと思っていました。(それより前に夫からも努力と言われていたけれど、私に甘いので特に真に受けていなかった。)

 

なぜかと言うと、それまでの私はみんなも同じように、できるまでやっているものだと思っていたからです。(自分がやってることは他者もやっていると思い込んでいた。自他境界線がなかったのです。)

できないことは許されない、できるまでやり続けないといけない、どうすればできるようになるのかを考えて行動する、これらすべて世界の常識だと思って生きてきたので、私のやっていることを『努力』なんていうのはもっと頑張っている人たちに失礼だとまで思っていました。

 

でも、あまりにもたくさんの人に『努力』と言ってもらえるので、『努力』って言っていいんだ・・・と少しづつ受け入れられるようになりました。フォロワーの皆様のおかげです。ありがとうございます。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

話は戻って、夫と一緒にいるためには特性緩和をしなきゃいけなくて、たくさんのできないことをできるようにしなければいけない、とそう思ったのです。

数年から数十年単位でできないことを人並みくらいにはできるようにしてきたので、今回の発達障害の特性に関しても、自分なら頑張ればやれる、できるまでやるぞという思いで取り組んでいます。

 

努力したらできる、というよりはできるようになるまで努力をやめずにやり続ける

という考えが私にはあります。

 

その思いで、今の今までTwitterで取り組みを公開してきました。

発達障害だと診断されたのが2017年夏なので、この3年間私なりに頑張ってきました。夫が配慮してくれていた時期もありますが(2018年秋まで、そこから仕事が忙しくなり配慮する余裕がない状態でした)、今はかなり減っています。

夫はプライベートだと寝坊、遅刻、先延ばし、約束を忘れるのはしょっちゅうで、予定変更、時間変更、見通しが立たない状態などなど、私の持っている特性からするとかなりしんどい思いをしてきました。

 

地道なトライアンドエラーの繰り返しでしたが、夫だけでなくその様子を見てきたメンクリ主治医からも緩和していると判断してもらえるようにまでなりました。

ただ、3年と言いましたがその3年にやってきたことの土台として、小学校に上がる前からやってきたことや、16歳から自分を変えようとし始めて10年以上経って成果があらわれてきたことがあるんです。プライドを捨てる、素直になる、自己否定をしないなどなど

↑アンダーラインの部分、うまく文章かけない(;_;)

 

夫や主治医に出会ってからは助けてもらえることもありましたが、それまで助けてもらったと今考えても特に思えません・・・。『どうすればできるようになるのかを考える』これは私が生きていく上で学んだことであって、できないときは殴る蹴る母は勉強を教えてくれたことはありませんし、できた結果を見せても褒めてくれたこともありませんでした。

 

20代後半になってやっとできることが増えてきたのに、そこだけ切り取られて『できてるなら発達障害じゃないじゃん』『結婚できてるなら苦労っていっても大した事なさそう』『努力してできるなら障害ではなくない?』ってなんでたくさん言われなきゃいけないんだろう・・・。

最初の方は、『確かに結果だけ言われたら疑いたくもなるか』と思って、過程の部分をツイートしたり、ノートにまとめたりしてきました。

でもみんながみんな見てくれるわけでもないし、確認してくれることもない。

頑張ってる部分をリアルタイムでツイートしたり、ノートに書いたりしても、『結局夫が助けてくれるからできてるんでしょ』みたいに言われることもある。

パートナーがいるから解決しているみたいに受け取られる度に私は、『発達障害者とパートナーが一緒に生活するにはお互いの歩み寄りが必要だ』『パートナーの配慮だけでどうにかなるものではない』『発達障害者側にも歩み寄りという努力は必要だと思う』などと、よくいうようにしている。

 

それを除けば、私は自分が何をした、それでどうなったとか自分のことだけをツイートしている。できていない人に向けたツイートやパートナーがいない人に向けたツイートはしていない。

何故なら、私は発達障害あるあるを言いたいわけでも、発達障害は◯◯というものだといった啓発活動をしたいわけでもなく、夫と一緒にいるために特製緩和を目指していてその過程を一人でぶつぶつ言ってるだけ。一人で思考を垂れ流すのにTwitterがちょうどよかっただけ、なんだけど・・・なぁ。

 

読解力以前に、認知の歪みも相まって一部分を切り取ったり、私が言ってもいないことに対して反応されたり、発達障害者を相手にしていると疲れる・・・。

↑こういう反応してくるアカウントの人のプロフに必ず発達障害ですって書いてあるからさ・・・

 

一応、私の勘違いや読解力がないからかもしれないと思って夫に確認したり、別垢で受け取り方や解釈の仕方について相談したりしてるから、被害妄想ではないと思う。

 

いつもいいねやリプをくれる人、私が分からなくて困ってる時に教えてくれる人、ツイートみて役に立ったと言ってくれる人、本を読んでくれた人、感想をくれた人、すごく良くしてくれるフォロワーさんも多いし、辛いときに声かけてくれるフォロワーさんに救われてることもあるし、全部が全部嫌なことだらけではないんだけど・・・

でも疲れちゃった。

 

私の中で発達障害者のイメージは、Twitterの影響でだいぶ悪く形成されました。

そのおかげで、夫にはこんなつらい思いをさせないようにより一層がんばろうとも思えたけど

 

もう『発達障害』ってだけでイライラする\(^o^)/

 

発達障害アカウントどうするかまた考えよう(;_;)

Twitterのタイムライン荒らした上にこんなネガティブな記事更新してすみません。

でも吐き出すとちょっと楽になる(;_;)

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

追記 20200616

発達障害=できない、このできない枠からはみ出たら攻撃される(何も知らずに言いたいことぶつけてくる)って、出る杭は打たれるってやつじゃん。

発達障害だけど、できるようになりたいと思って、時間かかったけどできるようになってきた~!っていうのがそんなにおかしいのかな。

発達障害の人はずっとできないままでいないといけないの?

できるようになったからと言って、治った訳でもないし、一度できても維持する大変さもあるんだけどなぁ。

でも、相手の気持ちなんて分かるわけもないし、分かろうとする訳でもなくて、『自分の方が辛いんだ』って言いたいだけなんだろうなぁ。